学生記者として書く最後のコラム。3年間、関大スポーツ編集局(カンスポ)の記者を経験したからこそ感じた思い、編集長として味わった挫折、いろんな感情を思い出しながら書きました。拙い文章ですが、読んでいただけるとうれしいです。
2024年9月21日。昼間の野球取材、夕方のアメリカンフットボール取材を終え、1時間後に迫った夜行バス出発に向け、万博記念公園内を駆け抜けていた。身も心も満身創痍。「しんど」。思わず独り言をつぶやいてしまう。その時だった。夜空に色とりどりの光が咲き乱れる。花火だ。まっすぐ浮かび上がり、一定の高さで浮かぶ大輪は美しかった。時間を忘れ、走る足を止めた私。ただ名も知らない職人が打ち上げた花火にほれ、立ち止まった30秒間は今も鮮明に記憶に残っている。それほど、あの時の私にとって感動するもので、心に残るものだった。過密なスケジュールに嫌気が差し、折れかけた心。それを立ち直らせてくれた。職人が真心をこめて打ち上げた花火が、あの日、頑張る一歩を踏み出させてくれた。
カンスポの活動もこれと限りなく似ている。私たち学生記者は読者が笑顔になるような、背中を押せるような記事・写真を生み出すために努力を惜しまない。取材に赴く前から事前準備は入念に。戦績や選手の情報をこれでもかというほど調べる。会場に着けば、プレー中の写真だけでなく、誰もがスポットライトを当てないところまで見て、カメラに写す。試合が始まれば選手はもちろん、会場を取り巻くすべての人の声、表情を逃さないよう神経を研ぎ澄まし、試合が終わればインタビュー会場へ。ただ声を聞くだけではない。声のトーン、抑揚、視線。それら一つ一つからあふれる相手の本気を感じ記事にする。
ただ試合を見て、のほほんと書いているわけでない。KAISERSの本気と向き合い続けてきたからこそ紡いだ文章、切り取った写真。それらを生み出すのがカンスポだ。私もその一員として、なにか一つでも世に上げたモノが誰かの背中を押せていれば、それほど幸せで、誇りに思えることはない。
カンスポでの3年間は、大学生の私にたくさんの景色と人と出会わせてくれた。聖地・甲子園での取材。全国各地の大海原でカメラを構えた時もあった。勝利して笑顔を浮かべる瞬間、負けて悔し涙を流す瞬間。学生記者という特別な立場から、何百人ものかけがえのない時間をともに分かち合わせてもらった。幸せ者だったと思う。取材に応じてくれたすべての方に心からの「ありがとう」を伝えたい。
ただ、3年間すべてが楽しい時間だったわけではない。むしろ最後の1年はつらかった記憶の方が印象に残っている。理由はただ一つ。編集長という重荷と毎日向き合い続けたから。編集長はつらかった。何事にも責任が付きまとい、次から次へと仕事が降りかかってくる。授業中さえも、何度電話がかかってきたか分からない。優しい言葉はかけてもらっても、誰も手は差し伸べてくれない。孤独だった。それでも一度として手を抜こうと思ったことはない。私自身のプライドがあったのはもちろんだが、いつ何時でも付いてきてくれて、必死に頑張っている28人の部員の存在が常に頭のどこかにあったからだ。なんでもない平日、授業の休み時間を縫って部室で編集に勤しむ後輩たち。自分の仕事と向き合いながらもおのおのが部活のために役職をこなす頼もしい同期たち。その姿を常に間近で見てきた。だからこそ、『編集長』として部を代表して踏ん張らないといけないところで踏ん張れた。『カンスポが5年10年先もKAISERSになくてはならない組織としての基盤づくり』のために努力してこれたと思う。28人全員が私にとって誇れる仲間、それが今年のカンスポだ。
最後にここまで私に関わってくださった担当競技の方々に、この場を借りて感謝させてください。『人は1人では生きていけない』。本当にみなさまの温かさに支えられてここまで頑張ることができました。球場に着いたら少しクールげな表情で出迎えてくれる野球部。「今日もお願いします!」とこっちが少し恥ずかしくなるくらい元気にあいさつしてくれる応援団の方々とその父兄様。お世話になりました。私にとって第2の居場所、ヨット部。部員の方だけでなく、監督・コーチ、スタッフ、ご父兄、OB・OGの方からも本当に温かく迎え入れていただき感謝しかありません。ありがとうございました。苦しい時期から、たくましく、本気で日本一を目指す挑戦を一緒に追わせていただけて幸せでした。来年以降も一ファンとして応援させていただきます!「あいつ誰だ?」と少しざわつかれながらも2年間追わせていただいたアメリカンフットボール部。いつの日か甲子園ボウルを制する日が来ることを心の底から願っています。
ほかにも大学関係者の皆さま、KAISERSの皆さま、他大学の編集部のみんな、カンスポをここまでつないでくださった先輩方、頼れる同期、そしてカンスポの未来を作る後輩たち。本当にお世話になりました。今までありがとうございました。【稲垣寛太】
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