入学式で配布されていたサークルガイドで見つけた関大スポーツ編集局(カンスポ)の名前。元々スポーツ新聞が好きだった私は、その活動内容に興味を持った。一眼レフカメラでの写真撮影や、新聞の編集作業。どれも未経験であったが、挑戦してみたいという思いが強く芽生えた。新入生歓迎オリエンテーションで先輩に話を聞いたり、体験取材に行ってみたり。カンスポについて詳しく知っていくたびに、入部への思いは強くなっていった。
しかし私には1つ懸念点があった。それはこれまでに「忙しい部活動」というものを経験したことがないこと。2年前は今ほどカンスポの活動内容についてのSNS発信が多くなかったので、ホームページの部員コラムをすべて読んだ。そこには「毎週土日は取材」、「平日にも仕事が流れ込んでくる」との文字が。中高とほぼ帰宅部のような生活をしてきた私が、そのような生活に耐えられるだろうか。1カ月以上考え、最後は「後悔したくない」との思いから入部を決意。学生記者の世界に足を踏み入れたわけだが、1年生の春に入部した同期6人の中で、入部届を提出したのは最後だった。
カンスポの活動の軸である「取材」と「編集」。どちらかといえば編集に興味があって入部した出不精な私は、取材がおっくうに感じることもあった。それでも1年生の秋になり担当競技を持つと、同じ部の取材に何度も足を運ぶことになる。選手の顔を覚え、名前を覚え、背番号を覚え…。本気で戦う姿に魅了され、気づけばKAISERSのファンになっていた。こうなってしまえば取材も全く苦ではない。いつからか毎週末の取材を楽しみをしている自分がいた。
勝てばうれしいし、負ければ悔しい。記者という立場ではあるが、KAISERSとともに一喜一憂し続けた3年間。さまざまな舞台で輝く担当部の姿はとても誇らしかった。その一方で、部外者である自分の存在に無力さを感じることも。カンスポでどれだけ熱心に活動しても、担当部に貢献できているかは目に見えては分からない。それでも「外部の人間の中で、1番のサポーターであること」。この思いを胸に刻み、担当部の番記者として駆け抜けてきた。
自分が撮影した写真や執筆した記事、作成した号外や企画を喜んでもらえることが、私が思うカンスポの一番のやりがい。遠征先で関西から遠く離れた場所に住む選手の家族から感謝の言葉をもらったり、選手本人がSNSで反応してくれたりした瞬間は、本当にうれしかった。私の活動が少しでもKAISERSの力に、そして彼・彼女らの努力の証しとなれていたことを願う。
ラストイヤーとなる今年はアイスホッケー部、準硬式野球部、バレーボール部女子を班長として担当。全部活のリーグ戦が同時に行われた秋シーズンは、1週間のうち大学の授業よりも取材に行っている日数の方が多いこともあった。「1日に2試合取材に行って、両方の記事を当日中に書き上げる」。「4日連続で取材に行って4連敗し、テンションが下がる」。「ほぼ全試合の会場にカメラとパソコンを持っていき、首と肩がずっと痛い」。「事前に調べていたバスが来ず、暗い高槻の山道を2㌔歩く」などなど、この秋だけでも思い返してみれば、しんどいと思うことも数多くあった。3年間に目を向けても、決して楽しいことばかりではない。それでも、カンスポに入部したことを後悔した瞬間、辞めたいと思った瞬間は1度もなかった。
それは、つらいこと以上にたくさんの幸せな瞬間があったから。アイスホッケー部の2年連続となるインカレベスト4入り。準硬式野球部の5年ぶりリーグ優勝、7年ぶりの全日出場。バレーボール部女子の今年のリーグでの躍進(春3位、秋準優勝)。数々の歓喜の瞬間に立ち会い、喜びを共有してもらった。そしてカンスポでお世話になった先輩、かわいい後輩、切磋琢磨(せっさたくま)してきた同期と過ごしたかけがえのない時間。勇気を振り絞って飛び込んだこの世界で、想像もしえなかった素晴らしい景色に出会えた。
取材に行きやすいように購入したカメラは、私生活でも頻繁に持ち歩いた。取材や遠征の前後には1人で街を歩くことも増え、無駄に軽いフットワークも手に入れた。カンスポでの経験は人生を豊かにしてくれたと感じている。すぐ現状に満足して、新しいものに積極的に触れようとはしてこなかった過去の自分。世界が広がっていく喜びや楽しさを知れたことが、大学生活で得た一番の学びだ。
12月28日、現役生活で最後となる取材を終えた。無事に引退を迎えられたことに安堵(あんど)する半面、2度と戻れない学生記者としての生活を振り返り、喪失感も覚えている。KAISERSの一員として奮闘した3年間は、これまでの人生で一番充実した時間だった。「カンスポに入って本当に良かった」。そう胸を張って言える私は幸せ者です。関わってくださった皆さん、本当にありがとうございました。【島田采奈】
コメントを送信