平素より、関大スポーツ編集局(カンスポ)への多大なるご支援、誠にありがとうございます。私たちの活動にご協力いただいているKAISERSの皆さま、スポーツ振興グループをはじめとする大学関係者の皆さま、OB・OGの皆さま、そして読者の皆さま。こんにちは、こんばんは、法学部2年生の岩口奎心(けいしん)と申します。このコラムに興味をもっていただきありがとうございます。読んでいただくからには、二郎系ラーメン全マシマシぐらいボリューミーなコラムを届けたいと思いますので、ぜひ最後までお読みいただければと思います。
昨年のコラムでは、きむ(木村遥太=経2)が次の日に眼鏡を上下逆さまでかけて学校に来るほどのびっくり仰天なこと書いた。果凜(西村果凜=商2)はその日逆立ちで寝ていたらしい。まさに天変地異が起きたかのように。そんな中でも、莉央(早川莉央=社2)が朝に弱いことはやっぱり変わらなかった。私に関わる多くの人(そのほとんどが大学で出会った人たち)を驚愕(きょうがく)させたあの日のことを、昨日のように今でも感じる。コラムを載せてから鳴り止まない携帯の通知。有名人にでもなったかのような時間だった。もし気になる人が居るのなら、自らの手で探してみてほしい、すぐに出てくるだろう。1年前のコラムを読んでみてからこのコラムを読むのも悪くはない。今年も超特級の大発表を1つ…といきたいところだが、もうネタもないのでその希望には応えられない。そんなことは置いといて、本題に入ろうと思う。
2024年12月18日、日が暮れる頃だっただろうか。私は岐阜県で泣いていた。この年最初で最後の涙だろう。この日、私はサッカー部のインカレの取材のために在来線を乗り継ぎ、岐阜の地に降り立った。今年からインカレの大会方式が大きく改革された。昨年までの一発勝負のトーナメントではなく、まずは4チームからなるグループリーグを勝ち抜かなければならない。グループ上位2チームが決勝トーナメントへ進出できる。関大は2敗と崖っぷちの中で第3節を迎えた。しかし、関大の試合の前に行われた東洋大対日大の一戦で日大が勝利。関大のグループ3位以下が確定し、試合を迎える前に、インカレの予選敗退が決まってしまった。私自身も少しこの試合を観戦し、試合終了の笛が鳴った時は、何とも言えない感情に襲われた。ただ、「自分自身のやるべきことは全く変わらない」。すぐにそう思い、今年最後の取材を頑張ろうと足早に受付へと向かった。
インカレの取材も3試合目だからだろうか(グループリーグは5日間で3試合の超過密日程)。東海学連の方とはすっかり顔なじみに。ビブスとIDを受け取り、控室に向かった。しかし、控室に入るためには、試合前のアップを待つ関大の選手の前を通らなければならない。最初はどう声をかけていいかもわからず、通ることをためらった。しかし、悩んでいるわけにもいかず、か細い声で「カンスポです、お願いします」とあいさつをし、そそくさと歩き去る。少し気苦労してたどり着いた控室は、試合運営に携わる他大学のサッカー部で埋め尽くされていた。さらにお昼時ということもあり、支給されたお弁当の匂いが部屋中に充満している。すぐに取材の準備を済ませ、部屋を後に。間もなくして関大のアップが始まったが、選手たちの表情は私が思ったよりも良かった。ただ、川島功奨(社4)選手が試合後に話してくれたように、選手たちの心の中に複雑な気持ちや葛藤があったことは間違いない。選手だけでなく、関大の関係者は皆同じようなものを抱えながらも、試合が始まった。
紫紺の戦士たちの今年最後の勇姿を収めようと、必死にファインダーをのぞきシャッターを切り続け、メモを取る。試合は後半から出場した川島選手のヘディング弾で先制。そして関大はこの1点を守り切り、インカレ最終戦を勝利で締めくくった。試合後、応援のもとにあいさつに行く選手たち。ほとんどの人が笑っていたが、泣いている人もいて、本当に最後なんだと肌で感じた。そのまま選手たちの後を追いかけるように私も撤収し、最後の仕事であるインタビューに備える。ベンチでミーティングをしていたので、横で待つことに。質問でも考えようかと思ったが、邪魔にならないように聞くことにした。
監督やコーチ陣の話から始まり、徐々に空気はしんみりと。そして、日も落ちかけ辺りはどんどん暗くなり、気温もぐんと下がっていく。そして、主将である木邨優人(政策4)選手の話が始まった。木邨選手はグループリーグ第2節でレッドカードを受け退場となり、第3節も出場停止。紫紺をまといキャプテンマークを巻いた姿が、最後のピッチにはなかった。そんな彼が口にした言葉。それは、この1年共に戦った仲間への感謝の気持ちだった。頬を濡らしながらつづられる言葉に、いろいろなものを感じながら、私も涙があふれ出す。そこから私の心の中でいろいろなものがフラッシュバックしていった。今年からカンスポ内でサッカー班長を任せてもらい、うれしい半面不安だったあの時の気持ち。週末必ずと言っていいほど試合があり、その準備に追われていた日々。サッカー班長が私で良かったのかと、不意に襲ってくるあの瞬間。他にもこの1年間、サッカー班長を通して感じたさまざまなことが、一瞬にして脳裏をよぎった。実際、私の知る歴代のサッカー班長みたいに、サッカー部との友好的なつながりはないし、記者としての実力も遠く及ばない。全てが0からのスタートで、どうにか1にするために必死だった。知らないところで自分自身に多くのプレッシャーをかけていたようにも思う。その緊張が解けた瞬間だったのかもしれない。栓が壊れたかのように止まらない涙。それでも、引退する4年生の姿を収めるべく、涙を拭いながら最後の最後までシャッターを切り続けた。ミーティングも終わり、無事にインタビューも終了。「やりきった」と清々しい気持ちで会場を後にし、私の今年の活動が終わった。
2024年は本当にさまざまなことがあった。コラムのネタに困る事がない程に。その中で、たった1日の出来事をつづったのは、普段泣くこともない私が涙を流したからに他ならない。普段はよくふざけているし、学年関係なく部員のみんなを大いに困らせていると思う(みんないつも付き合ってくれて本当にありがとう)。あの日から10日ほどたつが、このコラムを書いている時も、写真を振り返りながらプレイバックを作っている時も、何度目頭が熱くなったことか。私はまだ2年生だから引退するわけでもないのに、来年もサッカー班長をすることは決まっているのに、次がまた巡ってくるのに。
思い返してみれば、1つ自分の中で決めていたことがある。それは、『今年がカンスポラストイヤー』だと思って活動することだった。やり残したことがないように過ごすために自分なりに考えた結果、いつしかこれにたどり着いていた。実際このことを胸に刻みながら過ごした1年間の私の活動が、どれだけ選手たちに、カンスポのみんなに、そして読者の皆さまに届いたかはわからない。至らない部分も多くあったと思う。でも、私が撮った写真や作った号外、試合告知などを個人のSNSで載せてくれたり、「明日一緒に勝とう」とメッセージを送ってくれた選手たち。自分がカンスポを通して作成したものを、「めっちゃいいやん」って言ってくれる大切な仲間。直接会うことはないけれど、インターネットを通じて見ていただいている読者の皆さま。そういった方々の存在が、本当に自分自身の力になっていることを実感し、ここまでやってきて良かったと心から思うことができた。孤独に感じることが多い部活ではあるが、温かさを感じることができた瞬間でもあった。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。私のことを知らない方は、ぜひこれを機に岩口奎心の名を覚えていただけると幸いです。来年はカンスポラストイヤーであり、部の最高学年になると共に副編集長を務めることに。今年も大いに忙しい日々を送ったが、来年はもっともっとカンスポに、勉強に、アルバイトに、さまざまなことで充実する1年にします。2025年、岩口奎心のさらなる飛躍に乞うご期待!【岩口奎心】
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