最後のコラム
同期への感謝をつづろうか。それとも家族や友達、班長競技やKAISERSの皆さん、関大スポーツ編集局(カンスポ)を支え関わってくださった全ての方々への感謝をメインに記そうか。たくさん悩んだけれど、20年間生きてきた中で一番つらく、しんどい出来事を経験した2024年。これを乗り越え前に進むために、最後のコラムに私の気持ちを残そうと思う。
2024年7月、320号の新聞編集終盤のある日、突然母の病気が見つかった。その日に即入院、検査を経て1週間後に手術という急すぎる展開に、私の頭は追いつかずただただ涙があふれるばかり。320号の編集を最後までやり切ることができず、病院通いの毎日が始まった。
朝起きて愛犬の散歩に行き、大学での授業を終えた後、15分の面会のために車で片道40分かけて病院へ。家に帰るとご飯の用意をして洗濯。その他にも、名もなき家事が多すぎる。「このまま母がいなくなってしまうのではないか」という不安と、勝手に出てくる涙で眠れない夜を何度も過ごした。
支えとなる存在
手術は無事に終了するも、その後はICUへ。たくさんの管につながれている母を見るのはつらかった。ICUにいる間の面会時間はたったの5分。それでも会いたくて、病院へ足を運んだ。家のことも自分のことも、大学も病院も。全てがいっぱいいっぱいになってしまって、正直もう限界だった。「消えてしまいたい」。そう思うことだってあった。そんな時に、同期にかけてもらった温かい言葉の数々。「あまねもお母さんも何も悪くないから、謝らないでね」。「編集のことは気にせず、お母さんに寄り添ってあげてね」。「できることがあればなんでもするから」。「あまねの体調も無理しないでね」などの言葉たちに、私はどれだけ救われ、支えてもらったのだろう。新聞編集も取材も、いつもどんな時も頼りになるみんなには、本当に頭が上がりません。いつも本当にありがとう。
母の楽しみは、カンスポ部員が書き、作った各部活のWEB記事や試合告知、号外や企画を見ること。手術前も後も変わらず、カンスポやKAISERSのファンであり、入院中の支えにもなっていた。他にも、いつもYouTube配信で応援をしていたバスケットボール部男子の試合にも一緒に行くなど、KAISERSの存在が回復につながっていると言っても過言ではない。
2024年の夏の記憶はほとんどなく、つらい、しんどいと思っていたが、思い返せばこの1年は本当にたくさんの人に支えられた年だった。「カンスポに入部した自分の選択が間違いではなかったと確信できるように、精一杯頑張りたい」と昨年のコラムに記したが、今となっては、カンスポに入部して良かったと胸を張って言える。
最後に…
各部活の部員ではないけれど、学生記者として選手やスタッフの勇姿をカメラに収め、記事を執筆できたこと、一緒になって結果に一喜一憂できたこと。誰よりも先に涙目になってしまい、選手に笑われてしまったことだってあった。カンスポに入ったからこそ出会えたたくさんの素敵な人たちや経験は、全て私の宝物。KAISERSの存在にたくさん支えてもらっていたから、私の書いた記事や撮った写真が、少しでも誰かの支えや喜びにつながっていたらうれしい。
「これから先、どんな困難があってもきっと乗り越えていける」。たくさん泣いて、その分たくさん支えてもらった1年だったからこそ、そう思えるくらいに強くなれた。カンスポの活動を通じて関わってくださった方々や、いつも支えてくれている方々へ。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。【藤井海】
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