努力を信じる
「どうせ努力なんか報われへんねん」
今でもはっきり覚えている。高校時代、所属していた陸上競技部の同期に言われた言葉。当時の私は、この言葉を信じていなかった。
中学時代から走り幅跳び一筋だった私にとって、毎日の練習はちっとも苦ではなかった。やればやるほど記録は伸びて、大会で上位入賞も増えた。高校1年の兵庫県ユースでは、始めて2カ月の三段跳びで予想外の優勝を果たし、表彰台のてっぺんに初めて立った。
順風満帆な競技人生を送るかと思いきや、2年の夏にヘルニアと腰椎分離症をわずらい、約8カ月の安静・リハビリ生活。練習のやりすぎが裏目に。悔しくて悲しくて、大会に出ているチームメートや冬季練習に打ち込む姿がうらやましかった。それでもインターハイ出場を諦めきれず、治療と基礎トレーニングを続けていると、3年の復帰戦(地区インターハイ)では自己ベストを更新した。近畿インターハイまで勝ち進んだが、あと1㌢で決勝進出を逃してしまう。それでも、諦めず頑張ってきた自分の結果だと思えば、後悔はなかった。
極度の負けず嫌い故に、努力することは好きだった。誰にも負けたくない、人より多くこなしたい。だから、きつい練習も頑張れた。“努力は必ず報われる”という言葉に、疑問すら抱かなかった。
大学受験でもそれは同じだった。当時はやっていた勉強時間共有アプリを使いながら、「誰よりも長く、誰よりもたくさん勉強」の日々。模試ではずっとE判定、過去問で1度も合格点を取れたことがなかったのに、第1志望の関大に合格。奇跡かと思う反面、これまでの努力が報われたんだと思った。
大学生になった私は、けがの影響で競技継続を断念。それでも、陸上競技に関わりたい一心で、関大スポーツ編集局(カンスポ)への入部を決めた(マネージャーは性に合わないので考えなかった)。
今までプレーヤーだった私にとって、カンスポは未知の世界だった。誰と競うわけでも、目標に向かって行動するわけでも、きつい練習を詰むわけでもない。各クラブの試合へ赴き、写真を撮り、スコアを記録し、記事にする。毎回同じ作業の繰り返し。何を頑張ればいいのか、何が結果として出るのか、わからない。新型コロナで制限もある中、モチベーションが見つからない。あいつが言った“努力は報われない”の意味が少し理解できた気がする。カンスポの努力ってなんだろう?
2年生になると、班長競技を持つようになった。バレーボール部男子、ハンドボール部男子、ヨット部、航空部の4クラブ。『ハイキュー!!(古舘春一、集英社)』の影響で興味があったバレーボールと体育の授業でちょっとやった事のあるハンドボールぐらいしか知らず、ヨットは船酔いしないから選ばれた(多分)。未経験競技に戸惑いながらも、たくさん取材に行くうちに競技への理解が深まり、ちょっとずつ楽しくなってきた。ルールを覚え、選手の名前を覚え、ポジションを覚え…。知れば知るほどその競技、選手たちのファンになっていく。
だが、片道2時間かかる会場へ行くのを面倒だと感じたり、いつまでも上達しない文章力に悩まされたり、負けた試合のWEB記事を書きたくないと思ったり。自分で決めたことは最後までやり遂げたいタイプだったが、大好きなバンドのライブを諦めて、友達との遊びを断って、バイトにもあまり入れない、カンスポ第1の生活を楽しみ切れない自分がいた。「私は何のために活動してるんやろう」と。見えない目標に不安があった。
「素敵な記事をありがとう」
関大スポーツ305号の終面は、私にとって最初で最後のカラー面記事だった。富士通カワサキレッドスピリッツ(V2)に内定した南本一成選手(22年度卒)からの言葉。泣き崩れるほどうれしかった。自分が作ったものがKAISERSに届いていると初めて実感できた瞬間。カンスポとしての “努力が報われた”瞬間だった。
いい写真を撮りたい、感動する記事を書きたい、かっこいい号外を作りたい。自分のするべきことが見つかった。そこからカンスポ活動に熱が入るのは早かった。回数を重ねるごとに成長していると感じ、努力の楽しさをかみ締めた。
3年。最後の年は、やれることを後悔のないようにやろう。
バレーボール部男子、ヨット部に加え、念願の陸上競技班長に。
陸上競技部は、関カレで昨年を上回る優勝・入賞者を輩出。インカレはもちろん、過去に行けていなかった駅伝もたくさん取材した。これまで作ってこれなかった分、班長としてたくさん活動しようと号外、試合告知、企画作りに注力。Twitterのいいね、引用リツイートを見ては、カンスポメンバーに喜びを伝えたりもした。
一番多く取材した男バレは、今春リーグで勝ち越し6位に。春1勝目を挙げた対京産大戦は、コートで喜び抱き合う選手たちを見て、思わず涙ぐんだ。これまで見てきたからこそ、最後に撮った集合写真はより一層輝いて見えた。ずっと追ってきた選手たちが、全国の舞台でプレーする姿。最後の取材だったインカレは、ネット横の特等席でカメラを構えた。
私が取材に行くと、微風になりレース開始が遅れることが多かったヨット(最後もノーレースになってしまった…)。カメラを向けると笑顔でピースサイン。競技中は真剣なまなざし。常に全国を見据えているヨット部の強さが本当にかっこよかった。
土日だけでなく時には平日も取材に行き、遠征にも度々行った。取材に行くのが、頑張るKAISERSを見るのが幸せだった。
睡眠時間を削ってでもいいものを作ろう。前回よりもいいものを作ろう。WEB記事にも力を入れ、たくさん試合告知や号外を作っては、反応に一喜一憂した。ラストイヤーは一番過酷で、一番楽しい1年だった。
頑張ってこられたのは、自分が作ったものがKAISERSの原動力になっていると信じていたから。
私はKAISERSの努力を知っている。それを伝えられるのは、カンスポにしかできないこと。カンスポの使命。勝負の世界では、“努力は報われない”ことがあるのかもしれない。それでも私は自分の、KAISERSの努力がどんな形であれ、必ず報われると信じている。【小西菜夕】
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