朝目覚めると、ずっしりと体が重かった。その正体は疲れであってほしい。切に願ったが、体温計は38度を示す。ここに来てコロナに負けた。「2日後のインカレには行かれへん。綺音の引退取材は15日の長野やったんや」。あまりにも不完全燃焼な幕引きに、はじめは喪失感で溢れた。
「しゃあないやん!」笑ってこう言うのは母だ。大体のことは茶化してくる。寝る間を惜しんで作った新聞を喜んで見せても、「老眼で見えへんわ〜」と読もうとしてくれなかった。たまに見るWEB記事も、「綺音はやっぱり文章力がない!」と鼻で笑う。幼い頃は一風変わったお母さんが自慢だったけど、大学生にもなれば、肯定的でかわいく微笑むような、ザ・お母さんに憧れた。
新聞を読まない母だから、もちろんできるまでの過程は知らない。白紙から、何度も話し合いを重ねてレイアウトを決めて、文の添削を繰り返して。この激務を知るはずはない、いや、本人は知らなくてもいいのだ。「あんたが頑張ってるのは部活だけ」。娘が部活でどんなことをしているか詳しくは知らずとも、直向きな私をただ信じて、何も文句を言わず支えてくれた。
1人で夜行バスに乗って取材に行く時、着いたら食べなさいって弁当を持たせてくれた。
スーツで取材に行く時、つぶれかけていたはずのヒールが、いつの間にか修理されて玄関に置かれてあった。
編集期間は2週間毎日、夜何時になっても夕飯を待って一緒に食べてくれた。
そっと愛をくれていた母。一方の私は目の前のKAISERSに明け暮れた。誕生日は必ず家族でお祝いしていたのに、昨年はアイスホッケーに捧げた。父が入院したときも、母を1人にし連日馬術を見に行った。母からしたらどれだけ孤独だったのだろう。私は親不孝者だ。
今までのツケが回ってきたから、最後の取材に行けないのかもしれない。ベッドに横たわる私は悲しむ。でも同時に、コロナになったから誕生日は家で過ごすことができるんだと、カンスポで減っていた久しぶりの家族だんらんに胸を膨らませた。
寂しさ、ワクワク、そして、感謝。色んな感情が入り混じったラストを迎えた。3年間、カンスポに没頭できたこと。これは一番に母の支えがあったからこそ。本当にありがとう。
これを読んだ母は、どんな反応をしてくるのだろう。キザな文をイジってくるのか、はたまたこのコラムがなかったかのようにスルーするのか。今日ぐらいは笑い事にしなくていいから、ただ一言、”どういたしまして”とだけLINEをください。【木原綺音】
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