2025年の幕開けは、地元・伊勢の赤福でぜんざいを運んでいた。前日は18時までフルで働き、それから祖父母の家で年を越し、人が少なくなった1時過ぎに伊勢神宮・外宮へ参拝。家に帰ったらカップラーメンでもすすり、起きては8時からまたぜんざいを運ぶ。新年早々、バタバタと過ごした。

ほとんどを伊勢で過ごした2月も過ぎ、3月にはいよいよ新体制初めての編集期間が始まった。そして同時に、準硬式野球のリーグ戦も開幕。寒さでかじかんだ指を必死に温めながらシャッターを切っていたことを思い出す。伊勢と部室と球場とを行ったり来たりしていると、あっという間に新歓の季節が訪れた。そして硬式野球のリーグ戦も開幕。取材や編集がほとんどなかったオフ期間のような1、2月から、一気に慌ただしい春を迎えた。そして、そんな慌ただしい春も、嵐のように過ぎていった。

5月から7月にかけて、地獄のようなスパンで行われる編集期間。やっと校了、かと思えばまた集まって会議をする。正直しんどいなと思う日もあったけれど、なぜか行かない選択肢はなかった。むしろ楽しい。それだけだった。来年もまたやってくる。笑ってやり切ろう。


今年も春の嵐だった。たくさんの出会いがあった。その中の1つ、忘れられない春の出会い。日本拳法という競技。無知のまま初めて行った西日本大会では、女子が優勝、男子は準優勝という結果に立ち会えた。あの決勝独特の張り詰めた空気と1本を取るごとに上がる歓声。ただただ圧倒された。すごい。そんな一言しか出てこなかった。けれど、今でも思い出すくらい、どきどきしたあの日。強い印象をもらったあの大会。わくわくが始まった瞬間だった。
そして6月の全国大会で女子は優勝、男子は準優勝。強い関大、それを背負うように戦う選手たちが、凛々しくて眩しかった。優勝の瞬間は、思わず本業を忘れそうになるくらい喜んでしまったけれど、初めての遠征、1人取材で、頭のどこかは冷静だったのかもしれない。ちゃんとシャッターは切っていた。ファインダー越しに見る満開の笑顔に、私もつられて笑顔になった。

さらに、10月には個人戦が2大会。日本一、全国制覇、素晴らしい瞬間を2度も取材させてもらった。そして、優勝には届かずとも全国3位やベスト8と、次々に入賞。関大はこんなにも強いのか、負ける気がしない、負ける姿が想像できない。迷いなくそう言えるくらい実績は十分。全てをかけた12月の全日がいよいよ始まった。
しかし、あんなにも頼もしく見えた大きな背中は、敗者として姿を消した。「勝負は時の運」。大会後に監督がそうおっしゃっていた。強い方が勝つ。勝った方が強い。それがスポーツ。過信はなかったし、心から勝てると思った。それでも、負ける時は負ける。スポーツは怖い、そう思った。でも、やっぱり面白いと思った。
スポーツに関わる活動をしていても、まだまだ知らない競技は多い。それでも、その中で出会えた競技は本当に奇跡だと思う。こんなにも素晴らしい競技があったのか。なぜ今まで知らなかったのだろう。もっとたくさんの人に伝えたい。そんな想いの循環が、今、私の活動の根源になっているのかもしれない。カンスポの活動も、残り1年となった。多くの部を取材させてもらい、たくさんの人にお世話になったこの1年。取材という活動の中でも、素直にスポーツを楽しんでいた。来年ももっとたくさんの景色が見たい。たくさんの人に届けたい。スポーツが繋いでくれた幸せを、今度は私が繋げる番。【水井陽菜】



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