私はどうせ将来、「俺って昔、こんなことしててん」とか言いながらこのページを誰かに見せていることだろう。そんな将来の私のため、現在21歳の私が、関大スポーツ編集局(カンスポ)で現役として過ごした1年9ヶ月を忘れないうちに記しておいた。どうかカンスポのWEBが消えてしまう、などのアクシデントが将来発生しないことを祈る。
私はこの1年9ヶ月の間、今日までで85回の取材に行き(独自調査)、13個の号外を作り(投稿予定のものも含む)、11回の新聞発行に携わり、8回遠征に行き、カンスポで新聞作りをしてきたのだ。
遅咲き
私が入部したのは2年生になってから。1年生の時は新型コロナが怖かったため、やりたいことを「自粛」せざるを得なかったからだ。前編集長の木原綺音(文4)曰く、「私が知ってる限りでは、2年生になってから入部した人は𠮷村くんが初めて」。そんな前例のない挑戦だったが、入部前から知り合いだった荒川拓輝(経4)の「カンスポは2年生からでも努力次第でどうにでもなる。遅すぎるなんてことはない」という言葉に背中を押された。持ち前の行動力と動画投稿で培った柔軟な発想力を武器に、同期との間にある1年の遅れを取り戻すべく活動にいそしんだ。このあたりの話は昨年の私のコラムで記載しているため、詳細は是非こちらを見ていただきたい。
開拓者
2022年いっぱいで1つ上の先輩が引退。最上級生となった私が最初に当たった壁が、カンスポ第312号の編集だ。それまで合計20人で行っていた編集作業が、1・2年生のみになったことで一気に約半分の11人での編集になったからだ。それまでも決して先輩に甘えていたわけではないが、強い自主性が求められた。それでも部員で力を合わせて、作り上げたカンスポ第312号。私は4面・野球のレイアウトと、中面で陸上競技とレスリングの記事を書いた。なんだかんだ言って、私はこの号を一番気に入ってる。
大金星
私は今年、主に準硬式野球部、陸上競技部、空手道部の取材を担当した。4月に行われた第56回関西学生空手道個人選手権大会では1年生2人が2つの部門で優勝を果たし、その記事でカンスポ第313号の1面を飾った。今思い返せば、この試合の取材に行くことは前日に決まったはずだ。即興で行った取材で1面デビューを果たすというのは不思議な気持ちだったが、発送の日に初めてカンスポ第313号を見た時の気持ちは忘れられない。
カンスポ第313号の編集中、4日間取材に行ったのが第100回関西学生陸上競技対校選手権大会だ。4日の間、様々な競技が同時に行われるため前もって準備を怠らずに取材に挑む。結果、7つの種目で関大選手が優勝し、関大は54年ぶりの総合優勝を果たした。この記事がカンスポ第314号で1面へ選ばれ、私は2号連続で1面を担当するという珍事になった。
なお、続くカンスポ第315号ではなぎなたで4面の記事を担当し、3号連続でカラー面ということに。いつの間にか私は「何か持っている人」ということになっていた。
あの日
そんな私の現役生活で、最も印象に残った取材の話も書いておこう。これらの1面を飾った試合や、追いかけていた部の引退試合よりも印象に残った試合があった。2023年11月29日に阪神甲子園球場で行われた、「全国元高校球児野球大会2020―2023(通称:あの夏)」のことである。
これは、新型コロナの影響で中止となった2020年の全国高等学校野球選手権大会をやり直すため、有志の尽力によって阪神甲子園球場(甲子園)で実現した試合である。この試合に出場した選手達は全員、3年前のあの夏、甲子園に立つことがかなわなかった選手達だ。その多くが当時高校3年生の元高校球児たち。そして、私も3年前に高校3年生だった、同級生である。「過去に終止符を打って欲しい」。開催に漕ぎ着けた有志の思いに激しく共感し、私も現在関大に所属する選手の取材のため、甲子園に向かった。
蒼々たるテレビ局、新聞会社のカメラに混じって、KAISERSのウィンドブレーカーを身にまとい甲子園の記者席に入る。関関戦で甲子園の記者席に入った経験はあったものの、それとは一線を画するような感覚があった。記者席から、うれしそうに甲子園の土を踏みしめる元高校球児たちが非常に印象的であった。見届けた試合では、見事に関大選手が躍動。来年その号外がカンスポのXに投稿される予定なので是非見て欲しい。
仲間達
そして明日、私はカンスポ記者の引退を迎える。カンスポに入って最も大きな財産は、たくさんの仲間に出会えたことだろう。1年生の時の私は孤独であった。先日一緒に飲んだ同じ専修の同級生曰く、「1年生の吉村くんは接しにくい変な人だったけど、今は接しやすい変な人。丸くなった」とのこと。その原因は他でもない、たくさんの選手達とコミュニケーションを取ることになったカンスポの存在だろうと振り返る。
選手の中でも特に、高校時代までの同級生、そして大学の授業などで知り合った知人がKAISERSの一員として競技に打ち込んでいる様子はとても興味深かった。高校時代の同級生や同じ専修に所属する選手と試合会場で顔を合わせると、毎回非常にうれしそうな顔をしてくれるのだ。「俺の競技にも吉村に取材に来て欲しい」「試合でカンスポ部員を見かけると𠮷村じゃないかと探してしまう」。多くの友人達のKAISERSとしての姿を見届けられず引退となってしまったのは、とても心苦しいものである。
そして、様々な個性を持った部員に出会えたことは誇るべきことだ。これまでの人生で関わったことのないような、そんな今までの人生を送ってきた人たちとの作業は刺激的だった。先輩、同級生、後輩と多くの時間を共に過ごせたことはかけがえのない思い出だ。
終着点
「カンスポでの辛い思い出を教えて」。そう聞かれれば、両手では数え切れないほどのエピソードを切り出せる自信がある。今の私もそうしているように、将来の私も笑い話にしていることだろう。それでも、カンスポへ入部しなければ体験できなかったこと、見られなかった景色、出会えなかった人はいくらでもある。総じて「あの日、即決でカンスポに入部して良かった」と思える瞬間の方が多い。深く、自信を持ってそう言える瞬間の数々を、これからの人生の財産にしたい。【𠮷村虎太郎】
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