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長いようで短かった関大スポーツ編集局(カンスポ)人生。カンスポの部員やKAISERSの皆さん、スポーツ振興グループや協賛の方々など、支えてくださったたくさんの方々のおかげで今日まで駆け抜けることができた。本当に温かな方々に囲まれ、幸せな3年間だったと思う。

予感

中学では部員の大半がクラブ上がり、高校では活動がバンド単位。まともに先輩、後輩と関わることはなかった。 また、中学・高校では部内の人間関係が良いとはいえず。それでもカンスポに入部を決めたのは、1年生の時のコラムにも書いたが一番は直感。ウキウキで入部届を出した後に、そういえば今まで部活であまりうまくいったことがないのに大丈夫なのかと、急に不安になったのを覚えている。

最初の顔合わせの日、早速時間を間違え1人だけ遅れて部室に入った。入った時にはすでに輪ができており、完全に出遅れたと絶望。会議後、当時の新入生指導の方が時間を作って説明してくださり、新入生では私だけが部室に残る形に。今後に不安を感じながら新凱風館から出ると、なんと同期全員が私のことを待ってくれていた。この瞬間、「ああ、ここなら大丈夫だ」と確信した。その確信は間違っていなかったと、今振り返っても思う。

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△最後の編集後に同期全員で撮った写真。お気に入りの1枚です!

感謝

この3年間で一番成長したと思うのは、変化球にも書いたが譲れないものができたことだ。それはもちろん担当班であるバドミントン部、空手道部、ハンドボール部女子。

まず取り上げるのは、最初に主に取材に行くことになったバドミントン部。担当ではなかったものの、1年の秋頃からよく取材に行くように。今よりもカンスポの人数が少なかったため仕方がなかったものの、好きな競技がないがしろにされているようで悔しかった。なのでバドミントンの大会情報を調べ、先輩に交渉して秋季リーグ戦やインカレに1人で赴いた。今考えるとその行動力に自分ながら驚く。その後もできる限り取材に行き、1部昇格の喜びも2部降格の悲しみも部員と共に味わった。私が人見知りなこともあり時間はかかったが、約3年間をかけて徐々に部員と親睦を深めた。私のカンスポ人生の大半を占めたと言っても過言ではないバドミントン部の存在。バドミントン部の取材を通じてカンスポの活動に慣れ、カンスポの醍醐味を感じられた。本当に感謝してもし切れない。来季では1部昇格の瞬間をまた見れるかもしれないと思うと、今から楽しみで仕方がない。

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△入れ替え戦後の集合写真

続いては、2年時から担当になった空手道部について語りたい。2年になって初めての空手道部の取材は忌引で行けず、幸先の悪いスタートに。その後の全日本個人から取材に赴くこととなったが、人見知りな私はなかなかなじむことができず。不安はあったものの、空手道という競技が好きだったので3年時もそのまま担当した。3年に上がってからはインタビューや号外作成などをなるべく行い、部員との距離を縮めることに努めた。さらに、部員の皆さんが明るく社交的な方が多かったこともあり、この1年間で距離を大きく縮めることができたと思う。また、全国の地でも名を挙げるようになり、紙面で大きな番手で取り上げる機会も増えた。だが、カラー面に載せることができなかったことが、カンスポ人生で唯一の後悔だ。来年こそ、1面で輝く空手道部を見たい。

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△全日本団体での集合写真。風邪で声が出ず、部員の皆さんがいつ撮られるか困惑してたのを見て、本当に申し訳なかったです

最後に取り上げるのは、ハンドボール部女子。ラストイヤーの1年間のみだったが、とても濃い1年間だった。先述した2部活に比べて1年間に赴く取材数が多かったのもあって、短い期間で仲良くなることができた。さらに号外や企画を作ると一番リアクションをくれた部活でもあり、とてもうれしかったことを覚えている。また、特に秋以降は目が離せない展開が続いた。インカレ出場権の獲得、インカレでベンチメンバー全員出場&全員得点。名場面を近くで立ち会うことができ、カンスポに入って良かったと何度も思った。来年以降も関大らしいプレーで全国に名を轟かせてほしい。

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△私が行けなかった試合で勝利した時の1枚。取材に行ってくれた日菜多と鑑ありがとう!

最後に

時間をかけて築いた人との関係の中で生まれた言葉や瞬間を文章として残してきた。それらは振り返れば、私にとって何よりの財産だった。変化球を書く時も思ったが、コラムを書くことは私が存在していた証。だから、この3年間を何とかこのコラムに詰めたかったが、どうも難しかった。だが、個人的にこのコラムを最後に書くことができて、大変満足である。拙い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。今後とも、カンスポをどうぞよろしくお願いいたします。【西村果凜】

 

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