1年間の活動で得たもの
私がこの1年一番感じたことは、どんな環境でも学べることや得ることがあるということだ。これは、アルバイト先の店長が言っていた言葉だ。関大スポーツ編集局(カンスポ)のカンスポ記者として過ごした1年。新たな環境に身を置くことで多くの刺激を受けた。
4月当初、大好きなカメラとスポーツ観戦、先輩の誘いを理由に入ったカンスポ。体育会の一機関でも運動をしないというのが運動音痴な自分にぴったりだった。大学に入って、なかなか馴染めない自分だったが、カンスポという一種のコミュニティに入ったことで、互いを大切に思える仲間に出会えたことは幸運だ。社会に揉まれるという言葉があるように、カンスポに揉まれた2022年だった。
新聞を作ったり、取材することで得るものはあるのかと思われるかもしれない。しかし、新聞は共同作業。一人一人に役割が当てられ、それぞれの担当者とコミュニケーションを取ることが、期限に間に合わせる上で重要だと感じた。
カンスポで出会った同期から得るものは非常に多かった。私を含めて6人。それぞれ個性は豊かだが、団結力は他の部活にも劣らない。同期を一言で表すと、人間性がある人たち。グループチャットでも一つ一つの言葉や連絡事項に対して感謝や気遣いの音葉がある。感謝の言葉を発することは当たり前のことであるが、実際に世間でできる人はそこまで多くないように感じる。いいチームを作る上でコミュニケーションの充実を図ることは大切だ。互いのことを思いやれる同期のメンバーはどんなことでも乗り越えていける。そう自信を持って言える精鋭たちだ。取材や記事に向き合う姿勢、同期や先輩、取材先の選手との関わり方なども同期を見て学んだ。特に、貴道ふみ(社1)のKAISERSへの人一倍の愛から学ぶことは多かった。競技を取材する記者であるとともに、コアなファンであるというスタンスには驚嘆した。彼女は自分の担当競技の魅力をよく語っている。貴道だけでなく、カンスポのメンバーは担当競技に愛を注いでいる。自分もその姿勢を見習いたい。
取材先ではすべての戦いは紙一重であり、試合の状況を的確に判断した上で、それに応じて技や動きを繰り出すことができるものが勝利するということを学んだ。これは先日行われた、第67回全日本学生日本憲法選手権大会団体戦で深く感じたことだ。いくら強者でも、判断を誤れば実力が同等の選手、下の選手に負けるということである。逆に言えば、実力が同等、それ以上であっても的確な判断があれば勝つことがあるということだ。関大は惜しくも準決勝、1勝差で中大に敗北した。拳法は1つずつの技や動き、間合いなどが試合を大きく左右する。単なる実力差だけでは試合の勝敗は測れない、スポーツのおもしろさに気づかされた。
カンスポの活動はやりがいを感じる瞬間が多々ある。特に、選手が輝いている姿をカメラに収めることができた時だ。試合では、1秒たりとも同じ瞬間に巡り合うことがない。常にシャッターボタンに触れながらカメラを構えている。選手の真剣な眼差し、細かい動き、緊張感などを感じ取ることができる。選手は輝く瞬間のために何千、何万という時間をかけて試合に挑んでいる。その功績を伝えるという自分の役割は重責だ。しかし、その感動を伝えることができるというのは、カンスポに所属している自分だからこそできることであると常々感じた。
来年に向けて
入部して、早くも約1年が経とうとしている。また、来年からは役割が増えていく。同時に、自分がカンスポに対してできることの幅が増えるのではないかと感じている。KAISERSを前進させるのは私だという向上心を持ち活動をしていきたい。カンスポは単なる体育会広報機関ではない。選手の生の姿、声を元に記事を書き、KAISERSの選手たちの活躍を後押しするメディアだ。少しでも多くの人にカンスポというメディアとKAISERSの魅力を知ってほしい。この想いを胸に、私は仲間とともにより多くの学生をスポーツの魅力へといざない、KAISERSの活躍をさらに後押しできる存在になる。【丸山由雅】
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