陸上競技一筋で駆け抜けた中高の6年間。酸いも甘いも経験したかけがえのない青春だった。姉の影響で中学1年時競技を始めた私は、練習した分記録が伸びるのが楽しく感じ、陸上競技が大好きになった。もっと強くなりたい一心で入学したのは、憧れていた府内の強豪校。だが中学での楽しい陸上競技とは違い、全国トップを目指す高校での陸上競技は易しいものではなかった。練習メニューはもちろん、先生の指導はとても厳しく、泣きながら走ることもたくさんあった。悔しい思いをした分絶対に強くなると信じ、毎朝6時半からの自主練習や食事制限を始めた甲斐あってか、高校2年の初夏に劇的に記録が伸び、府の大会で入賞。私が専門としていた400㍍ハードルは体力と技術力が必要でとてもハードな種目だ。走り終わったあとの達成感は今でも忘れられない。

しかしそれ以降中学の頃とは違い、たくさんトレーニングをしたからと言って記録がすぐに伸びることはなかった。また記録の停滞に加え、役職に就いたことによる先生からの厳しい指導に精神がすり減らされる。とても大好きだった陸上競技がだんだん好きではなくなってしまった。憧れていた環境いるのに、私の頭の中には「なんのために練習しているのだろう」という負の感情が度々渦巻く。しかし、私はそんな苦境でも諦めない忍耐力を身につけ、引退まで走り切ることができた。それは、毎日支えてくれた親や、怒られた私を慰めてくれた同期。いつも前で引っ張ってくれた先輩、こんな不甲斐ない私を頼りにしてくれた後輩などからのたくさんのサポートがあったからである。支えてくれた人たちの存在をとても大きく感じた高校生活だった。特に、同期の6人のおかげで私の3年間は笑顔で溢れていた。はめを外して盛り上がったたくさんの思い出は私の大切な宝物。本当にありがとう。

大学に入学し何をしようかと考えていたとき、関大スポーツ編集局のインスタグラムを見つけた。たくさんの人に支えられた分、選手の活躍を報道することで、今度は私が選手の頑張る活力になりたいと思い入部を決意。そして一度好きではなくなってしまった陸上競技にスポーツ記者として関わり、また好きになりたいと思った。カンスポでの活動は想像していたより大変で面倒に感じることもある。だが、苦しい高校時代に作り上げた礎、何苦楚魂でどんな困難も乗り越えていきたい。【津久井純菜】

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