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リーグ開幕直前特別対談前編 田代良雅×菅原紳太郎

リーグ開幕直前特別対談前編 田代良雅×菅原紳太郎

-お二人が今の役職に決まったのはいつですか?

菅原 去年のリーグ戦が終わって1カ月ぐらいだったかな。
田代 (新チームが動き出したのは)12月ぐらいから。ほんまに全員で始動したのは2月かな。がっつり始まったのは。
菅原 そうだね。

-役職が決まってから何か話されたことはありますか?

菅原 なってからというよりかは、なる前からチームについての話をしてきた。
田代 しょっちゅうアツい話してるもんな。

-お二人はずっと仲がいいんですか?

田代 はい(笑)。1年のときからずっと。
菅原 びっくりするよね。
田代 おもろいエピソードもあるしな。
菅原 最初…。
田代 最初が衝撃的やったからな。
菅原 一番最初の入学式のときとか全くお互い知らないのにバスケで顔を見たことあるからっていうだけで写真を撮って、気付いたら…(笑)
田代 なんかこう、ずるずると(笑)
菅原 授業がずっと一緒だったっていうのもあるよね。

-お互いの第一印象は?

田代 でか。まじめそう…。やな、1発目は(笑)
菅原 こっちにきて、初めて一番まともな関西人だと思った。東北から来て、大阪の人のイメージが俺のなかにはあった。それに全て当てはまっているのがこいつだった(笑)

-今はその印象が変わりましたか?

田代・菅原 全然。
田代 そのままやな。
菅原 「でか」は変わらないよな。

-お二人の性格を教えてください

田代 俺は、熱男で、ポジティブで、けどまっすぐなりすぎて熱くなりすぎたらちょっとイライラしてきて、発散して、まだ戻ってきてってループしてる。たぶん、俺は1人じゃ生きていけない人間である。だから、周りの人にほんまに助けられて、生かせられて生きてる。紳太郎はマジで真面目やし、ほんまに1回決めたことを貫いてる。たぶん、俺と一緒だけどこうなったらこうってなる。いい意味でも悪い意味でもまっすぐ。

菅原 俺は結構頭が固いタイプかな。小中高とキャプテンやってて、責任感、チームの一番上として責任感を持たないといけないっていうのをすごい自覚しながらやってきた。だけど、今までの経験を振り返っても1回もチームを上手くまとめられた経験がなかった。だから、自分の頭が固いんかなって思ってた。そんななかで田代と出会って、俺の同期というか身の回りの人で一番尊敬できる人間だなと思ってる。自分と似たようなところも感じるけど、そのなかで俺は感情的になったら黙っちゃうタイプで、周りにあまり言えない、そういうことを。でも田代はそれを感情的になっても、いいときに伝えることもあるし、たとえばちょけたり、場を和ませたりしながら上手くアウトプットしてチームや周りの人たちを引っ張ることができる。自分が今までなれなかった理想の姿がこれだったのかなってすごい感じてた。

田代 泣きそう(笑)
菅原 お互いに似たようなところもあって、だけどやっぱり違うところもあって。そこも尊敬できる。でも、田代が1人で生きていけないって言ったのも納得できるし、逆に自分も同じだと思う。だから、今年はこの2人でやっていけるっていう環境に恵まれていると思う。

△田代

-これまでどんなことを話されてきたんですか?

田代 ほんまにチームの現状分析。何が足りなくて、何が必要なのか出し合ってた。結構きついことも言うし、出した上でどうしていくかを練る。具体的な内容はありすぎて、なあ?
菅原 チームの課題とかだね 。
田代 それを、個人というよりか、ほんまにどのようにすればいいのか、俺らが4回になるまでの…いま俺が喋るタイムね(笑)
菅原 うん。
田代 4回になるまでに感じたことっていうのを全て変えたいっていうのが2人の中で一番あった。俺ら2人は随一に1年の時からアツい男やったと思うから、だからこそ変えれる部分があるんちゃうかってすごい感じてた。な?
菅原 うん!
田代 ちょっと、入ってこいよ(笑)。これたぶんこのままだと止まらない。
菅原 まあ、なんか1年生のときから結構チームのあかんところとかをよく2人で話していた。学年のこととか、後輩が入ってきたら後輩のこととかも。だから、学年が上がっていくごとに段々視点が広くなっていくような話をしていったかな。それが最後、お互いキャプテン、副キャプテンになって広くチームを見たような話をするようになった。
田代 そうやな。あとは、観点が似てたな。思ってることが似てた。
菅原 ああ、それはあるな。

田代 それでめっちゃ仲良くなったっていうのはあるし、そういうのをたまたま言ったら俺もやってなった。結構俺がこう思ってるねんって言ったら俺もってなるし、紳太郎が言ってくれたときは俺もそう思ってるっていうのですごい楽だった。これがもし1人、俺だけが感じてるものだったら、たぶん俺は死んでると思うし、1人おるだけで全然違ったって一番上に立った今すごい思うかな。

菅原 俺はさっきも言ったけど自分は頭が固いタイプで、高校の時に結構1人だけ浮いてたみたいな感じだった。高校の時もキャプテンやってたけど、チームの雰囲気的にはあんまり真面目にやるようなチームじゃなかった。自分の頭が固かったから、そこの部分ですごいミスマッチがあって、高校は不完全燃焼で終わった。それで大学に行ったときに、田代が結構自分と似た考えを持っていた。似たような考え方だったし、なんだろうな…。それを貫いてる姿を見て、自分そんなに間違っていなかったんだなっていうのを認識した。だからブレずにここまでいけたかなと思う。

田代 恥ずかしい(笑)俺これあと3時間しゃべれる。

-お二人はどんなビジョンで約3年半バスケをしていたんですか?

田代 俺は、もちろん個人として試合に出ることは絶対の目標だった。けど、自分だけがやっていてもチームスポーツは絶対に上手くいかないことは分かってた。だからこそ、自分の能力を伸ばしながら、学年関係なく声を出すことはできるし、チームに対して意見を持つことはできる。その時点の視点でいうと、自分のことよりも常にチームのことを。俺は自分の元々のコンセプトとしてチームのためにできることをやるっていうのをずっと持ってるから、自分のことをやりつつ、まずはチーム。これを1回のころからずっと考えていたし、学年が上がるにつれて役職もついてくるし、こういうところがあかんなっていうのを1回生のときから見てたからこそ、自分が4回生になったときに自分があかんって思ってたことは全部改善したいなって思える材料になった。1回生のときから自分のことだけじゃなくチームを見れてたことはほんまによかったと思う。性格の問題やと思うけど、俺は1年の入ってきた関大の印象では全員が自分のためだけにやってるっていう感じがすごい強かった。だからこそ、3点差とか、残り1勝とか、その重みがそこで出たんじゃないかなっていうのがすごいあった。それが正解かどうかはわからないけど。だから、ほんまにチームのためにできる人がどれだけ増えていくかが大事だと思う。

菅原 俺は結構1年生のときから試合に出ることに必死だったかな。だから、そんなにチームのことを考えて行動していたわけじゃないかもしれないけど、でも高校の時にキャプテンをしていたから、チームのことも1年生の時から考えていたといえば考えていた。そのなかで自分は本当に1、2年生は試合に出ることにずっと必死だったかな。でも、田代とチームのこととかそういう話は1年のときからずっとしていたから、チームのこういうところが良くないとか、そういう話をずっとしていった先で、今年キャプテン、副キャプテンになったときに今まで話してきたことや、経験してきたことをもとにいろんなことを改善できるような材料を、自分たちで見つけられた。そういう見方や考え方をしたきたかな。

△菅原

-お二人が意見を交換していく中で見つかったものはありますか?

田代 ほんまに、ずっと試合に出てる人だけで話し合っても、出る意見は同じ。だけど、こうやって立場とか練習してる場所が俺らは違ったからそういう2人が、同じ志を持って意見を交換したからこそ、今までAチームでしか見えていなかったものがBの内容も入ってきた。それで、今こういうのが足りないんやなってなって、それをBにも還元する。全体を通して見れるようになった。チーム全体の現状把握ができることはほんまに一番の強みになったと思う。2人やったからこそできた。

菅原 また過去の話になるけど、高校の時もBチームがあって全然真面目にやってなくて。Bチームは真面目にやらないってイメージが自分の中であって、大学に入ったときも想定内ぐらいの不真面目さだった。だけど、自分の学年は実力に差があまりなかった。そのなかで、田代みたいなやつもいて、勇斗(村上勇斗=人4)とかうっちー(内田宏紀=シス理4)とかもAに上がれるぐらいの能力を持った選手がBにいて頑張ってるって話を田代から聞いてた。その話通りに俺らの学年は大体の人が1、2年生のときにAを経験してたし、芽が出始めてるってことを聞いていい傾向にあると思ってた。逆にBがやってるのにAがやってないのはおかしい。話を聞いていたからこそ俺ももっとやらなくちゃって個人的にも思ったし、チームとしてももっとやらなくちゃって思えた。それはすごくいいことだったと思う。

-新チームが始動して、まず始めにやったことは?

田代 ラントレです。2月3月に。
菅原 地獄だった(笑)

田代 ラントレは、去年の課題として終盤に体力落ちてディフェンスの強度が下がったりしてたのがあった。だから、体育館だけじゃなくてああいう自然体のところで走ることによって足の筋肉が付いたり、いろいろなメリットがあるっていうのを尾﨑さん(尾﨑勇太前ヘッドコーチ)が調べてくれて、メニューを組んでくれてしっかり取り組もうって感じになった。バスケ部なのに体育館を使わずに外で練習するなんてそりゃ嫌だったけど、そこであの練習が意味のあるものになったのは確実に4回生が頑張ったから。4回生は22歳、1回生は18歳。これだけ年の差があるなかで、俺が1位を取って、そのあとに秋岡(秋岡和典=人4)、山内(山内佑真=経4)とかあまり走りそうにないキャラ全員が本気で走って引っ張った。紳太郎もセンターの中で一番速かったし、俺だけじゃなくて4回生が引っ張った。その姿を見て、2、3回生はやらないといけない雰囲気になった。確実に。始まる前は俺も含めみんな嫌やったと思うけどトラックに入って始まったらしっかり全員が走って、しんどいって言いながらも終わってみればみんな笑って、あんな思い出もあったよなって今は言えるぐらいになった。俺はあの練習はほんまに良かったんじゃないかなって、今思えばね。4回生の強さが出た練習だったかなって思う。

菅原 試合に出ている立場としては、やっぱり自分たちが逃げてきた課題であって、どうしてもやらなくちゃいけなかったけどそこから目を背けて他の課題に取り組んでいた部分がリーグ戦でずっと出ていて、それで俺らの代になってラントレが始まったっていうのもある。ラントレが始まってからは田代が言ったとおりで、俺もグダるんじゃないかって思ってたけど、田代もいつも1番ですごかったし、4回生全員が本当に速くて。それが結構驚きで、なんなら周りに勝てなかった自分に腹立ってたぐらい(笑)すごい感心したというか。4回生が走ってる姿を見て、真面目に走るやつは走るし、意外と普段文句言うような人らとかも走るのめっちゃ速かった。文句も出たりするけど、やるときはやる子たちが今このチームには多いと思う。ラントレはやって良かったなって、今だからね、思えるよね。

田代 それでそのあとの下半身が一番きついときにウエートして…。
菅原 あのときみんなほんとに精神強かったと思う(笑)これ続けたら本当に強くなれると思ったもん。
田代 メンタルもフィジカルも両方強くなった。
菅原 全部だよね、全部。
田代 1番は、気持ちやろ 。
菅原 団結力。

田代 あとはなんか知らんけどトラックでやることで一体感が出た。過去一のワンツースリーの声とか(笑)そういうのは、あのしんどい状況であれだけ走れるって事は、試合の苦しい場面でも絶対にできる。そういう子たちが集まってるっていうことは分かった。

-そのなかでヘッドコーチが変わりましたが

田代 3月の頭に尾﨑さんがいなくなるって聞いて、正直終わったなって思った。この状況で、まずコロナで絶望して、2発目に3年間面倒を見てもらってやっとお互いに信頼関係を築いてラストイヤーを迎えるっていうなかでのヘッドコーチの交代で、バスケやめようかなって思った。ポジティブな俺でもさすがにきつくなった。本当にやばいと思った。誰にも言えない状況だったし、紳太郎にも言うなって言われてたから。ちょっとしてからの共有になって、それまでは「お前1人で抱えてくれ」って言われてた。そのときはほんまにしんどかった。そのときに去年女バレがヘッドコーチが変わったって知ってたから原ちゃん(原幸歩バレーボール部女子主将=文4)とかにヘッドコーチが変わるってどんな感じかとかいろいろ聞いたりした。いかに選手のモチベーションを上げるかとかいろいろ考えていたけど、正直できる気はしなかった。

菅原 俺も尾﨑さんから個人で電話来て、なんかどっちが先に知ったかはわからないけど俺も誰にも言わないでって言われてた。言われたときは、俺は感情的にあまりならなくて、本当にラストシーズンはインカレに出た いって思いが一番上にあったから指導者が変わってから、どうやってインカレに行けるチームを作るために自分はどういう動きをしていけばいいんだろうって事に関してずっと悩んではいたかな。新しい指導者が例えばコミュニケーションが取りづらい人だったらとか、逆にやりやすい指導者だったらとか考えてた。指導者が決まるまでは本当にどうしようもなくて。

田代 もうなんか己ができることをやって、待つことしかできなかった。最悪、ほんまにぶっちゃけな話俺がヘッドコーチになる説もあった。俺は結構山花さん(山花健作コーチ)とどうするか話していて、それで駄々こねて。やっぱり俺らはラストシーズンだし、本当に俺らのことを何も知らない指導者が来るのはほんまに怖いと。コロナもあるなかで、また1からやっていたら時間がない。せめて俺らのことをちょっとでも理解してて、知ってる人にやってほしいっていうことはすごい伝えてた。わけわからん指導者が来るんやったら俺は山花さんにやってほしいっていうのも伝えてた。結果、スーパースターが拾ってくれて。もう、感謝しかない。正直、ユリアン(ラディオノフ・ユリアンヘッドコーチ)って聞いた瞬間、ほっとした。勝てるんじゃないかという希望が結構生まれた。変な指導者じゃなくて、3年間知ってるコーチが来てくれた。アツい人っていうのも知ってたし。俺はすごいほっとして気は楽になった。変わるって聞いたときは、人生終わったと思ったもん。毎日たくさん話して。

菅原 俺は田代が話してるっていうのを聞いてたからそこは任せるというか、俺はその中で待つしかなかった。ユリアンになったって聞いたときはチャンスだなって。ピンチから急にチャンスに変わったなっていう感じがした。ユリアンは今までちょくちょく週2とかで来てたけど、俺はその週2だけでもすごく信頼できる指導者って感じてた。それが正式にヘッドコーチになって教えてくれるってなったら、楽しみでしかなかった。でも逆にユリアンの熱量に対してギャップがある子たちも少なからずいるのは知ってたから、そこに対してのアプローチをどうしていくかっていうのは田代とよく話してたかな。

【取材日:9月6日/インタビュー:金田侑香璃】

◆田代良雅(たしろ・よしまさ)商学部4年、1998年(平10)7月4日生まれ。174㌢、73㌔、関大一高出身。得意なプレーはDF(守護神)、OFリバウンド。

◆菅原紳太郎(すがわら・しんたろう)文学部4年、1998年(平10)6月24日生まれ。191.3㌢、90㌔、東北学院高出身。得意なプレーはシール(渋い活躍)。

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