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22歳の大学1年生

22歳の大学1年生

関大スポーツ編集局(カンスポ)に入部して約7か月。シーズン中は毎週取材におもむき、時に新聞の編集や号外の作成など、気が付けば締め切りに追われる日々。カンスポの活動は決して楽とは言い難いが、頼もしい先輩方と優しい同期たちと時を共にしている。みんなと過ごす時間は本当に楽しく、いつしかカンスポが私の心の拠り所となっていた。そんなみんなに入部してから隠してきたことが1つだけある。それは私が今年で22歳になったこと。なぜ3年遅れで大学に入学したのか。それは私の高校時代まで遡る。

失意と希望

2019年10月20日、選手権大会大阪府予選で履正社高に負けたことで、自チームはベスト32で大会終幕。約9年間のサッカー人生に幕を下ろした。決して順風満帆な競技人生ではなかったけれど、小さな頃から生活の一部であったサッカー。それからの日々はどこか心にぽっかりと穴が空いたような日々だった。引退してようやく自分の進路について深く考えた。何をしたいのか、どういう自分になりたいのか。悩みに悩んで出た答えが、「医師になること」だった。高校では文系選択で、医学部なんて多浪してやっと受かるかもしれない。ほとんど見えない希望を胸に医学部進学を目指すことを決断した。「絶対に受かってやる」。そう意気込み浪人生活を始めた。しかし、現実はそう甘くはなかった。とにかくつらかった。ほんの少しの光も見えない。正直受かる姿なんて1ミリたりとも想像することができなかった。この世から消えたいと本気で思った。この3年間は医学部進学を目指す期間ではなく、諦めるまでに必要だった時間だと感じる。医学部進学を諦めたのは2022年12月頃。これからどうしようと初めはすごく悩んだが、大学に行けば自分のやりたいことが見つかるかもしれない。そう思い大学探しを始めた。目指すものがなくなり、特段大学にこだわりはなく家から通いやすいという理由で関西大学を選んだ。将来の選択肢を増やしたいと思い法学部を受験。医学部を目指していたから合格は必然だと思っていたが、発表当日は身体中に鼓動が鳴り響いていた。今まで大学受験で合格を手にしたことはなく、合格の文字を見たときは本当に安堵(あんど)したことを昨日のように感じる。この3年間、何事も心の底から楽しめたことは一切なく、目に見える光景がどこかモノクロのような味気ないものだった。合格を祖父母に報告するために外へ出ると、いつも見ていた景色に少しだけ色がついたような気がした。

再スタート

本当に小さな光ですら見えない3年間を生きてきて、諦めて選んだ今の道。まだやりたいこともこんな職業に就きたいという思いも出てきていない。私の友達は就職が決まって来春から社会に出る人ばかり。そんな状況だから毎日自分は何を生業にしたらいいのかと模索する日々。長いようであっという間に終わってしまうだろう大学生活。カンスポで過ごせる日々はそれよりも短い。ただ、今は夢中になれるカンスポの活動を、毎日幸せだなと思わせてくれるカンスポの部員たちと共に過ごしたい。今しかできないことに本気で取り組み、いつかこれがやりたいと心の底から思える日が来ることを願って。愛さずにはいられないみんなと、今を生きたい。 【岩口奎心】

△作成した号外
△カンスポ1年生
△右から村中望乃(政策2)と漆原竜吉(情2)

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