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モラトリアムに見た、“夢”に憧れて

モラトリアムに見た、“夢”に憧れて

3年前、大学入試の面接で、将来どうなりたのかを聞かれた。
「今はわかりません。なので、大学生の間にいろんな経験をして見つけたいと思います」

小論文と、30分の面接の結果で合否が決まる2次試験だった。小論文の手応えは完璧。たぶん、この面接さえ乗り切れば関大に入れる。だけど、将来の夢なんてないし、そう簡単にかなうものではない。小さいころから心に抱えていた思いに、今さらうそをつけなかった。

家庭環境が悪かったとか、絶望的な挫折をしたとか、特別な原因があったわけではない。
でも別に、なにをしててもそこそこ楽しいくらいで、趣味もないし、胸を張って好きと言えるものもなかった。好きとか嫌いの前に損得を考え、ちょっと好きになっても苦労してまで好きでいたくはない。無意識にそんな思考を繰り返しているうちに、気がつけば好きなものも、将来どうなりたいのかも、“夢”もわからなくなっていた。

難しく考えてしまい、なにをしていてもあまり楽しくなかったし、特に頑張りたいと思うこともない。高校生になるくらいには、こんな自分の人生に飽き飽きしていた。

「楽しそうな人の近くにいれば、好きなことや、夢も見つかるかも」
そう思って選んだのが“記者”という道だった。

△19年6月22日、花畑の中で取材する高校3年生の私(撮影・高校の部活の同期)

取材をしていると、私からしたらどうでもいいと思うものに、夢中になっている人がたくさんいる。普段だったら見過ごしていたものが、取材だと少しおもしろそうに見えた。これが6年前、記者としてのスタートだ。

大学生になって選んだ「いろんな経験」の1つが、関大スポーツ編集局(カンスポ)で大学スポーツの取材をすること。スポーツにも、新聞にも興味があったわけではない。ただ、大学の実習では一番経験できなさそうなジャンルだったからというだけで入部した。(高校時代と大学の実習では、映像ドキュメンタリーを作っていた)

△のちにカラー面の記事を担当した、カンスポの紙面

カンスポとして初めての取材は、サッカー部のFC2008(FC、いわゆる3軍)の試合。全国出場争いをしているとかも全く知らないまま、先輩について行って写真を撮る。当時の私は、取材に行ければなんでも良かった。「楽しかったです!また行きたいです」。無邪気に言い続けていたら、3週連続でFCの取材に行くことになった。

△20年9月13日、サッカー(FC2008)初取材。先制ゴールを決めるFW西村真(法1=当時)

そして、このFCというチームが、本当に意味が分からなかった。
勝敗には全然直結しなさそうなところでも、激しく体をぶつけてボールを奪いにいっているし、めっちゃくちゃに強い相手と引き分けたのに、まだまだだと真剣にミーティングをしている。

△同、後半に追いつかれ、この年優勝するFC TIAMO枚方と引き分け。試合後の両チームの選手たち

そこそこ楽しければOKだった私からしたら、まじで意味が分からなかった。しかも、プロになるわけでもないだろう3軍の選手が、就職も決まっているであろう4年生たちが、誰よりも真剣にやっていた。なんでそんなに頑張れるか、本当に分からなかった。

△同20日、ベンチに下がってからもめちゃくちゃ叫んでいる森下キャプテン(情4=当時、中央)

そして、私はこの意味が分からないチームのことを気に入った。もっと取材したいと思い「合わなかったら、3カ月でカンスポを辞める!」という宣言を撤回した。

△同、ゴールを決めたFW百田(経1=当時、中央)

2年目の春、FCの開幕戦を取材した。1年生のうちは写真だけ撮っていれば良かったが、この時は記事を書くペン記者として。

△21年4月11日、サッカー(FC2008)の取材前に、初の淡路島ではしゃいでいる私(右)

オフの間にルールと用語を覚えて、準備万端なはず。だけど、気がつけば、よくわからないうちに負けていた。
取材メモには「○分 背番号△△ スローイン」とか、明らかにわかるセットプレーしかない。そのメモでは全く記事が書けず、結局、部室で試合動画を見返しながら(先輩の説明をそのまま)ほとんど全部書き直した。
優しすぎる先輩に何度もチャンスをもらったが、やっぱり記事が書けない。記事を書くのが嫌すぎて、カンスポを辞めるんじゃないかと心配されるほどだった。

△同、スタンドから初のペン取材

転機は、少しあとに行ったフェンシングの取材だった。
初めて見たフェンシングの試合で、2部優勝。さらには50年ぶりの1部昇格。
1対1で、剣で相手を突いたら勝ち。シンプルなルールだが、早すぎてどこを突いているのかすらわからないし、駆け引きも何がなんだか。これまでの取材とは比べものにならないくらい、何が起きているのか分からなかった。

△21年4月24日、フェンシング初取材。ガッツポーズをする伊藤(人1=当時)
△同5月15日、優勝を決めたエペのメンバー

でも、試合を見て話を聞いているうちに、競技への思いは伝わってきた。記事を書くのは嫌だけど、せめてこれだけは伝えよう。自分と同じようにフェンシングを全く知らなかった人にも分かるように、勝敗や試合内容を書くだけじゃなくて、私が書けることを書こう。
少しは前向きに、取材に行けるようになった。

△初めて作った号外はフェンシング(同4月30日発行=左)

カンスポ3年目。
1年早めのラストイヤー。良くも悪くも自分の自由にできる1年。
こんな言い方は良くないけれど、私はカンスポという立場を自分探しに利用した。

△5月15日、ハンドボール男子の廣上主将(文4)にインタビューをする私(左、撮影・小西菜夕)

テーマは、なんでそんなに頑張れるのか。少し聞こえがいいように言うと、大学スポーツの魅力はなんなのか。
とにかく、たくさん取材に行って、たくさんインタビューをした。3月末の取材始めから毎週休みなく、100試合以上。試合の結果次第で来週の予定すら分からないことも多く、台風で試合が延期されて誕生日の予定が変わったこともあった。

△9月25日、ソフトテニス女子。5戦全勝で関西優勝を決めた
△同、スローガンは優勝ではなく『楽しく、明るく、元気よく』だという
△8月22日、サッカーの総理大臣杯。3点差で負けている試合でも笑顔のDF松尾(文4)は、同点ゴールを決めるとめちゃくちゃ笑顔でガッツポーズ

だけど、日本一や昇格という大きな目標、私なりの言い方にすれば、日本一や昇格という“夢”を追いかける、担当クラブの取材はどれも刺激的だった。昇格や優勝、大接戦の末の敗退など、印象に残っている試合は数えきれない。北海道から、東京、鹿児島まで、全国大会も今年だけで8回も取材。プロとかアジアチャンピオンとか、試合には出ていないけどめちゃくちゃ頑張っている人とか、いろんな人に話を聞いた。もっと取材がしたいと思うばかりで、全く飽きない1年だった。

△9月25日、ソフトテニス男子の入れ替え戦。1点決まっただけで、優勝したかのような雰囲気。左側でハイタッチをしているのは、2時間前には試合が終わっている立命大の選手たち
△10月31日、サッカー部の主務と学連にインタビュー。主将がよくしているという「顔ふき」ポーズで撮影
△9月3日、ソフトテニス男子のインカレ初戦。1、2番手が負けたあと3番手が3連勝で逆転勝利。座っているのは土下座している1、2番手ペア
△4月24日、サッカー大阪選手権準決勝。FW西村真とFW百田も1点ずつ決めて4ー1でFCティアモ枚方に勝った。3年ぶりの全員応援で183人が大集合

そして少しだけ分かった。夢を追いかける人たちが、なんで頑張れるのか。とてもシンプルな答えだった。
やらないよりやった方が、楽しいから。そっちの方が人生おもしろそうだから。

△11日4日、ハンドボール男子。接戦の試合のタイムアウトで廣上主将が「楽しもう、勝つよ」と声をかける
△12月4日、サッカー(なでしこ)。第1回関関女子定期戦で勝利し、念願のタイトル

日本一とか、世界一とか、プロで活躍するとか、
私には大きすぎて、とてつもなく遠くに見えていた夢も、わくわくするためのひとつの方法にしかすぎないのだと。

△7月17日、サッカー。関西選手権優勝後、主将、監督、コーチに続いて試合に出ていない学連の赤星(人4)もカップ挙げ?

そのことに気づき始めたころ、FCの全国大会があった。始発電車に乗り、片道9時間。鹿児島まで1人で取材に行った。
9年ぶりに初戦を突破。2回戦は優勝候補。なのに、2回戦も勝った。(ホテルも予約してなくてめちゃくちゃ焦った)

△10日16日、サッカー(FC2008)が全国1勝を決めた瞬間。ベンチの方が盛り上がっていた

史上初のベスト8進出。うれしいと言うより、勝てないだろうと思った自分が、悔しくて、情けなかった。

△同17日、鹿児島まで応援に駆けつけた部員。ちなみに公式戦翌日で、次の日は関大で朝練あるらしいです

結局、コンビニすらない鹿児島で、負けるまで取材をした。3時間に1本しかないバスに揺られて、取材に行った。取材に行った方が、おもしろそうだったから。

△同30日、引退試合(公式戦)で、PKを誰が蹴るかジャンケンで決める4年生(すでに昇格が決まっている試合で、PKもちゃんと決めていました)

好きなものも、頑張りたいこともないと思っていたが、さすがに気づいた。取材するの結構好きだなぁ、私。

△同17日、鹿児島でサッカー(FC2008)の取材をする(撮影・バスで会った他のチームのサポーター)

日本一の記者になりたいとかは全く思わないし、思えない。なんなら記者を続けたいかどうかも微妙だ。だけど、おもしろそうなことのために、ちょっとくらいは頑張ってみるのも、夢を追いかけてみるのもいいかもしれない。

△6月1日、サッカー天皇杯2回戦、C大阪に善戦したものの1ー3で敗退。それでも「めっちゃわくわくした」と、部員でもない私にまでたくさん連絡が来た
△同、J1クラブとの“夢”の対戦を終えて


あのプレーにわくわくしたように、私もわくわくしていたい。誰かをわくわくさせてみたい。だって、そっちの方がずっと、おもしろそうだから。

△同26日、サッカー(SOLEO)のアウェー関関戦。プレー1つでやじが拍手に変わった

もうすぐ、2022年が、カンスポとしての活動が終わる。さて、次はなににわくわくしようか。誰をわくわくさせようか。【牧野文音】

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