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私は2年生の春に、この関大スポーツ編集局(カンスポ)へ入部した。現在所属している部員の中で、私以外に2年生になってから入部した部員は存在しない。1年生の時に何を考えていたのか。なぜ2年生になってから入部したのか。このコラムではそれらについてまとめていきたいと思う。

自粛

2021年4月、私は関大に入学した。幼いころから行動派の自由人だった私は、大学では遊びや旅行にたくさん行く自由な日々を謳歌(おうか)できると思っていた。しかし、思い描いていた大学生活は訪れなかった。その原因は他でもない、新型コロナの存在である。私の体は丈夫だが、ウイルスにはめっぽう弱かった。幼稚園時代に流行していたインフルエンザに全種感染した経験もあり、 人一倍新型コロナに恐れを抱いていた。そのため、持ち前の行動力を押し殺し、やりたかったことを何もかも「自粛」という言葉で片付けざるを得なかった。その中には「カンスポ」も含まれていた。元々野球や駅伝を見るのが好きだった私は、1年生のサークル勧誘でカンスポにも興味を持った。しかし、「自粛」を理由に入部の一歩を踏み出せずに日々が流れていった。

疑問

1年生の時は授業以外に何もしていなかった訳ではない。私はYouTubeと共に1年を過ごした。YouTubeへの動画投稿なら自宅にいてもできる。他にやることもない私は、ただがむしゃらに動画投稿に励んだ。その結果、現在でも登録者数を人に言うと驚かれるほどには、私のチャンネルはご好評をいただいた。面白そうだと思った動画を作り、視聴者と交流する。こんな経験はそう簡単にできるものではなく、今後の人生においても貴重な経験であり続けるだろう。
しかし、動画投稿に励む日々の中で「このままでいいのか」という疑問が少しずつ頭を支配するようになっていた。決して、動画を作り、投稿する日々に嫌気がさしていた訳ではない。しかし、思い描いていたことを実現できずに過ごす日々が、まるで味の抜けたガムを噛み続けているように淡泊だと感じてしまったのである。幸いなことに、私は新型コロナのワクチンはしっかり接種していた。しっかりと感染対策を心がければ、やりたいこともできるようになるのではないかと考えた。

改革

2022年になるのと時を同じくして、私の中で大幅な意識改革が行われた。感染対策には充分留意した上で、やりたいことをとことんやってやろうという考えにまとまった。まるで、今まで奪われていた1年を取り戻すように。
まず、旅行に行くようになった。バックパックを背負い、最安値の交通手段と素泊まり宿の予約をあてに日本全国を旅する。その先で美しい景色を眺めたり、そこに暮らしている人と交流したり。さらには旅先でYouTubeの視聴者と交流したり、時にはアクシデントで野宿したり。そんな旅行を繰り返す度、私は一段ずつ経験を積み成長していくのを感じる。そして、思い描いていた自由な大学生活の一端を現実にできていることを確かめていた。

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△川平湾(沖縄県石垣市)にて

決断

もう1つ、やりたかったものに手を出した。それこそ他でもない「カンスポ」である。春休みのある日、春学期に使う教科書を買いに大学に行った。その日が偶然サークル勧誘の日だった。その事実を知った際、私はとあるサークルに入ろうと思った。そのサークルとは縁があり、1年生の頃から少し交流を持っていたからである。しかし、そこで計算外の事態が起こった。学内のどこを見回してもそのサークルのブースが見当たらないのである。
そこで様々なブースを見回る中で見覚えのあるブースを発見した。カンスポのブースである。ここに入れば、野球、駅伝を含む様々な競技を見て回ることができる。その事実を思い出した途端、突然1年前に持った興味が蘇った。これこそが運命だと感じた私は、すぐさま受付を担当していた松尾有咲(文2)に入部の意思を伝えた。松尾も私の即決具合には相当驚いていたが、こうして私はカンスポの一員になったのである。
入部したのはいいものの、同級生に比べて1年入部が遅かったという事実は不安の種となっていた。しかし、私の初取材に同行していた荒川拓輝(経3)の何気ない言葉がその不安を和らげた。「カンスポは2年生からでも努力次第でどうにでもなる。遅すぎるなんてことはない」。この言葉に後押しされ、私は今日まで一生懸命に学生記者を務めてきた。どんなに頑張っても、経験不足故に失敗することも多々あったし、同級生との間にある「1年」の差は一向に縮まる気配がない。しかし、持ち前の行動力と動画投稿で培った柔軟な発想力を武器に、替えの効かないカンスポ部員の1人になれたのではないかとこれまでを振り返る。

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△皇子山球場での初取材の様子

 この1年間、「旅行」と「カンスポ」の2つのやりたいことをやった結果、私の望んでいた自由な大学生活を手に入れられた。だが、もしも新型コロナが存在しなかったら、もっとたくさんの自由を享受できていたのではないかと考えることがある。しかし、人生という物語に「if」はない。私はこれからも、自分で選んだ道で瞬間瞬間を必死に生きていく。たとえ、どんな明日が待っていても。【𠮷村虎太郎】

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